ひとりごと
「ストライーク バッターアウトぉ~~~」
「そうだぁ~そこだぁ~ まわれ回れーー いけーーーーー」
げっっ、またいる。。
私の父である・・中学生だった頃 ソフトボール部で部活をしていると、練習中に
ふらぁ~っと自転車に乗って中学校のグラウンドのバックネット裏に来ては、大きな声を張り上げて、わーわー言っている父・・。思春期ということもあり、父だということを隠しながら部活をしても、小さな村で育った私は友達みんなが知っている存在
「今日も、ゆっちゃんのお父さん来てるね。。」と・・。
ああ。。。本当に嫌だ。。。
私は、カンカンに怒って部活が終わるや否や、家に帰って母に大声で
「なんで、お父さんに学校へこさせたのっっ、あれほどお母さんに止めてねってお願いしていたのに、なんでよーーーーっっっ」
と顔を真っ赤にして怒っていたのも懐かしい
そう言えば、私が3,4歳ぐらいの時に父親に連れていかれた近所の競艇場で、父が
遊びに夢中になり、私を忘れて帰ったこともあったっけ 笑
そんないつまでも子供のような、何か頼んでも頼りになるのかならないのか・・
という父ではあるのだが、そんな父に一度だけお願いしたことがあった
そう、私の息子が不登校になった時の事である
「お母さん今度、浜松に息子を連れて帰るから、学校の事は何も言わんと、美味しいご飯をいっぱい食べさせて、よーきた、よーきたと いっぱい可愛がってやって欲しい・・私では、もうダメで・・。口もきいてくれへんし、家出ばっかりして学校行かへん・・ とにかく、連れて行くから お父さんにも言っといて欲しい。絶対に、学校の事言わんとってっ」
そうして、実家に連れて帰った帰りの新幹線の改札での別れ際、父が大きな手で息子をぎゅっと抱きしめて「だいき、がんばれよ」と・・。
あんなにも自分中心で生きてきた父だが、むすめ可愛さに言いたいことも我慢し、孫である息子を可愛がってくれた
帰りの新幹線の中で、息子がポツリと、
「俺、浜松きてよかった・・・」と。。
「そう、よかったね。」
涙が込み上げて、車窓から見える流れる景色をじっと見つめて、涙が出ないように
こらえるのが精一杯だったのを覚えている
そこから4か月後、息子は人生初めて私立中学をやめるという決断を、自らするのである。ここからが、息子の新たな人生の始まりだったのだと思う
今年 息子は、大学3年生となり、教育実習へ行く予定である
「俺は、学校の先生にはならないけど、免許だけは取るからなっ」と・・。
へぇ~~。そうなんだ、と心の中で思いつつも、あんなに学校へ行かなかった子が
教育実習へ行くってかぁ~ 笑
今は、放射線か宇宙に興味がある為、そちらの研究をしたいと思っているらしい
不登校になった8年前は、学校へ行くか 行かないかの二択だったのに、今は沢山の選択肢が広がっているよ・・。
ただ中学の時も、二択だと思っていた選択肢は、無限にあったのだと思う。
それに気づくまでに、こんなにも沢山の時間を費やし、多くの愛情の中で息子も私も育ったのだと気づかされる
息子が不登校になってからの8年間の記録を毎年、「ひとりごと」で書かせていただいております。今年は、別の話題にしようかと思いましたが、読者の皆様からのリクエストもあり、近況も含めて赤裸々に書かせていただきました 笑 今後もタバタデンタルクリニックで私自身が皆様のお役に立てますように、頑張ってまいります。今年もよろしくお願いいたします。











